全ての魂は尊い。
だが、到達まで同じだと言われると、俺はずっと違和感を抱えてきた。
進化は、慰めじゃない。
俺はずっと引っかかっていた。
「全ての魂は等しく尊い」という言葉が、
どこか嘘くさく聞こえていた。
努力もせず、浅い快楽と自己中心の恋愛だけを反復する人生と、
孤独や悲しみを引き受け、使命を生きるために自分を燃やし続ける人生。
これが本当に“同じ価値”なわけがない。
だが同時に、
「価値に優劣がある」と言い切ることへの恐怖もあった。
それは選民思想に堕ちる危険を孕むからだ。
そこで、言葉を分解した。
■ 存在価値と到達価値
存在価値に優劣はない。
存在しているという一点において、魂は等しく配置されている。
これは宇宙の仕様だ。
だが、到達価値には明確な差がある。
どこまで重さを扱えるか。
どこまで孤独を引き受けられるか。
どこまで愛と使命を同時に保持できるか。
進化とは、重い荷物を持つことではない。
重さを扱える帯域が広がることだ。
重い荷物を持てない魂。
重い荷物を持てるが、役割として持たない魂。
重い荷物を引き受け続ける魂。
これは同じではない。
全ての魂が、同じ燃え方をする必要はない。
全ての魂が、深海まで潜る必要もない。
だが、深く潜った魂の方が、宇宙の深度に近づいている。
これは事実だ。
浅瀬に留まり続けることを
「それも進化だ」「それも役割だ」と言ってしまえば、
進化という言葉そのものが死ぬ。
■ 役割には二種類ある
未到達ゆえの役割。
到達した上で選ばれた役割。
深く潜れる魂が、あえて浅瀬に戻る。
これは進化だ。
深く潜れない魂が、浅瀬に留まることを正当化する。
これは停止だ。
象とネズミ。
子供の算数と、大人の微分積分。
浅い恋愛と、使命を尊重する愛。
同じ「存在」でも、扱っている宇宙情報量は違う。
だからこう言う。
存在は平等だ。
だが、到達は平等ではない。
宇宙は、存在するだけのものにも価値を与える。
同時に、到達したものにも価値を与える。
この二つは矛盾しない。
この事実を隠す教育は、
努力する魂を必ず腐らせる。

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