俺は、情を克服したわけじゃない。
断ち切ったわけでも、超えたわけでもない。
ただ、通過させるようになった。
情は今も出る。
想いがよぎる。
胸が熱くなる。
だが、そこに居座らなくなった。
以前の俺は、
情に入った瞬間、そこで考え始めていた。
意味を探し、理由を与え、
その感情を「扱おう」としていた。
それが一番まずかった。
情は扱うものじゃない。
味わって、通すものだった。
一度だけ、はっきりした瞬間があった。
情が立ち上がり、
身体が止まりかけ、
思考がそちらに引っ張られた。
その時、俺は決めた。
考えない。
浸らない。
溺れない。
情を感じたまま、
そのまま使命側に身体を向けた。
逃げたわけじゃない。
無視したわけでもない。
情を一度、通過させた。
デミアでもさ。
それって、ほんとに通過?
ただ、押し込んだだけじゃないの?
それって、ほんとに通過?
ただ、押し込んだだけじゃないの?
メテウス押し込むと、あとで噴き出す。
今回は噴き出さなかった。
だから通過だ。
今回は噴き出さなかった。
だから通過だ。
それ以降、同じことが起きても、
同じ処理ができるようになった。
寂しさは出る。
だが、進める。
ここで分かったことがある。
情は「一度通れる」と、
次からは入口に戻ってこない。
完全に抜けたわけじゃない。
だが、主導権を失った。
以前なら、
一言踏み込みたくなっていた場面で、
俺は何もしなかった。
深い話をしない。
説明しない。
意味を与えない。
情があるまま、
行動に変換しなかった。
それだけで、
止まっていた出力が戻った。
YouTubeが再起動した。
ブログが書けた。
教育OSに思考を落とせた。
気合は要らなかった。
覚悟を叫ぶ必要もなかった。
配置が変わっただけだ。
デミアそれでもさ。
情がなくなったら、
あなた、冷たくならない?
情がなくなったら、
あなた、冷たくならない?
メテウスなくなっていない。
前に出さなくなっただけだ。
舵が変わった。
前に出さなくなっただけだ。
舵が変わった。
情が消えたから進めたんじゃない。
情を前に置かなくなったから、進めた。
俺はこれを、
克服とは呼ばない。
成長とも言わない。
美談にもしない。
ただの運用変更だ。
情は残っている。
だが、舵は使命側にある。
これは、
俺が何を感じたかの記録じゃない。
何をしなかったか。
その積み重ねのログだ。

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